養蜂場日記
ご無事を祈ります
2011年3月31日 / 養蜂場日記
東北の養蜂家の皆さんはどうしておられるでしょうか、養蜂場は大丈夫でしょうか
何年も続いたミツバチ減少・絶滅の危機、世界中の養蜂家がかつて経験したことのない本当に大変な時期でした。
それをやっと乗り越えて明るい兆しが見え始め、これからという時です。
他人事でなく、身につまされます。どうか皆さん無事でいて欲しい。
花が咲きミツバチが飛び回る春が、早く早く来ますように!!
養蜂家妻 記
ペット救済活動
2011年3月31日 / 養蜂場日記
テレビ東京 「ポチたま」 ~ペットの旅~ でお馴染みの、松本君のホームページで次の募集をしています。
「災害時の愛玩動物同伴可能の避難所の確保と増加及び、愛玩動物入居可能の仮設住宅の確保と増加と建設を求める署名」
松本秀樹の「Natural Dog Style」の「ペット救済活動」「署名活動」から署名用紙をダウンロードできます → http://www.n-d-s.tv/index.html
または電話・ファックスで送って貰えます。
電話・ファックス番号 0470-24-5666(電話は平日10:00~17:00)
現在3500名の署名が集まっているそうです。(4月30日消印有効)
集まった署名は環境省に提出します。
阪神淡路大震災の時もそうでしたが、今回の震災でもペット達が避難所に入れず、やむなく狭い車の中で一緒に生活して体調を崩す人が多いとのことです。
車があればまだ良いほうで、厳しい寒さの中、外で暮さなければならないペット達も多くいます。
また、せっかく仮設住宅に入れてもペットが禁止され、家族同然に暮してきたペットを手放さざるを得ないケースも多いのです。
家族や親しい人達を亡くされた方々、また生活の糧としてきた家畜を亡くし途方に暮れている方々が沢山いらっしゃいます。
ペットどころではないという状況かもしれません。
しかし、私にできることであれば少しでも協力したいという思い、一人一人が今できる事を精一杯やっていくしかないという思いで、掲載させて頂きました。
養蜂家妻 記
春よ来い
2011年3月30日 / 養蜂場日記
震災から3週間近くが経ちました。
しかし未だに、朝晩におにぎり1個ずつしか配給されない避難所があるそうです。
また、道路が遮断されたため物資が届かず、少し前まで飢え死にの危機に遭遇していた集落もありました。
今の日本で飢え死になんて・・・誰が想像したでしょう。
自衛隊のヘリは民間に物資を投下してはいけないという規則があるので、せっかくヘリが飛んでも物資を届けることができません。
規則と人命とどちらが大切でしょうか、緊急時には上がとっさの判断を下し、物資を投下せよ!と命を下してくれたら良いのに。そんな柔軟性もない政府です。
これまで、日本は先進国ですと胸を張ってきたのに、原発の不測の事態におろおろするばかり。科学の発達した今の時代に、水で冷却するしか方法がないというのが素人の私には理解できないことですが、こんなアナログな方法しか無いのでしょうか。
また、その汚染された水をどこに捨てればよいのか困窮しています。そんな原発なら最初から作らなければ良いと思ってしまいます。
東京都の全家庭がエアコンの暖房の温度を1℃下げるだけで、原発1基分の電力が不要になるそうです。
以前からまめにそういう啓発をしていれば、もっと安全に豊かに暮せたでしょう。
南国育ちの寒がりの私ですが、冬の寒さ対策は使い捨てカイロです。腰に1個貼るだけで暖かいですし、寒さ厳しい日は2個に増やせばポカポカです。
被災地に一刻も早く暖かい春が訪れますように・・・
養蜂家妻 記
東北関東大震災
2011年3月14日 / 養蜂場日記
少しずつ救援の手が届き始めたようですが、まだまだ孤立している方達が沢山いらっしゃいます。
この寒さの中、どんなに辛い思いをされているかと心が痛みます。
以前の災害では個人の救援物資を受け付けていましたが、仕分けが大変なのと受け入れ態勢が整わないので、個人で送る物資は受け付けていません。救援は義捐金でとのことです。
微力ながら、できることをしていきたいと思います。
夜、電気を消してキャンドルを灯して節電しようという動きもあります。
小さくても、みんながそれぞれにできる事をしていけば大きな力になることを信じます。
養蜂家妻 記
宝塚はちみつ
2011年3月12日 / 養蜂場日記
東北地方太平洋沖大地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
少しでも早く救助の手が届き、一人でも多くの方が救われますように!
一日も早く復旧して健やかな日々が訪れますように、心よりお祈り申し上げます。
宝塚はちみつ
懐かしいものたち
2011年3月11日 / 養蜂場日記
しばらく郷里に里帰りしていました。
私のふるさとは鹿児島です。今回も、一日に何度も噴火を繰り返していました。
市内のほとんどの銭湯が温泉で、朝5時とか6時から開いています。さすが火山の国、今回も温泉を満喫して来ました。
鹿児島ではさつまいもの事を唐芋(からいも)と言います。唐の国から渡ってきたから唐芋。
小さい頃食べた唐芋は、色んな色が混じっていました。切ってみるまで中の色は分かりません。
今度は紫!と思って切ってみると夕陽のようなオレンジ色だったり、うっとりするような鮮やかな黄色だったり・・・淡いクリーム色もありました。色によって味わいがはっきりと違ったものです。
子供の頃の私のお気に入りの食べ方は、茹でたお芋を手で割ってバターを付けて食べること。お芋の熱でバターがトロ~リと溶けて、ホクホクのお芋と溶けたバターのハーモニーが、口の中で、えも言われぬ味わいを醸し出しました。
今回帰省してみると、お芋のお菓子が沢山出ていました。冬季限定の唐芋チョコケーキは、ビターチョコとホワイトチョコがあり、どちら美味しそう・・・
両方買ってバレンタインのプレゼントとして、お世話になった方に差し上げました。
でも次に買いに行った時は、もう販売していませんでした。バレンタイン限定商品だったそうです。結局私は食べることができず、どんな味だったのか想像するしかありません・・・
養蜂家妻 記
ミツバチも養蜂家も健在です!!
2011年3月8日 / 養蜂場日記
長い間養蜂場日記を休んでしまいましたが、養蜂家もミツバチも元気です。(☆ちなみに、今日は3月8日「ミツバチの日」です)
立春の頃から女王蜂の産卵が始まり、現在はこの春生まれの新蜂がどんどん増えているところです。
巣箱の中は写真のような状態になっています。厳しい寒波に何度となく襲われた養蜂場でしたが、その間も新しい生命が次々に誕生していました。
日照時間が長くなり気温が上がっていくにつれ、女王蜂の産卵行動はさらに活発になり、蜂の数はますます増えていきます。どの群れにも強群になる兆候が現れています。
養蜂家も、すでに本格的に活動を開始しました。ここしばらくは、群れの強化のためにいろいろなことをしなければなりません。
遅れていたウグイスの初音も、ようやく一昨日(3月6日)聞くことができました。
ひねもすウグイスの鳴き声を楽しめる日もそこまで来ているようです。
春よ来い、早く来い! 養蜂家の胸は高鳴ります!
静かに春を待つ
2011年1月8日 / 養蜂場日記
冷たい雪の下、養蜂場周辺の田圃にはすでにレンゲが育っています。
毎年、9月下旬に播く種は1~2週間後に芽を出し、少しずつ成長していきます。一度、厳しい冬の寒さに耐えることが、レンゲの成長には欠かせないのです。
そして春、見事なピンクの絨毯が出現します。
一昔前まで西日本のどこにでもあった春の風景でしたが、今ではなかなか目にすることができなくなりました。
宝塚はちみつでは毎年レンゲの面積を広げ、少しずつですが失われた春景色を復活させています。
中国ではレンゲは“紫雲草”と呼ばれています。
大陸の広大な土地に咲くレンゲの花の広がりが、雲を連想させるのでしょう。
ボンタン
2011年1月4日 / 養蜂場日記
毎年暮が近付くと、故郷宮崎から宅配便が届きます。
中味は鰹節の生節、かるかん饅頭、庭で採れた柚子など郷里の懐かしいものがいっぱい。
今年はそれらに混じって文旦(ボンタン)が入っていました。中国原産の大型の柑橘類で、鹿児島の阿久根市の“市の木”になっています。
ボンタンという面白い名前は、元禄年間に中国の船が阿久根に漂着したとき、船長の“謝 文旦”が苗木を贈ったと言ういわれからきています。
写真のものは直径18センチ、重さ2キロの立派なものですが、柑橘類が苦手な哲平はそっぽを向いてしまいました。(お母さんの趣味でリボンを付けられちゃったけど、僕は男の子だゾ!by哲平)
鹿児島にはボンタン飴というお菓子があります。水あめ・砂糖・麦芽糖・もち米の他、原料全てが植物性で、ボンタンから抽出したエキスも入っています。もっちりした食感と爽やかな甘さが特徴で、飴と言うより生キャラメルに近い感じです。
鹿児島出身の家内もそうですが、私も小さい頃よく食べたものです。
その懐かしいパッケージを大阪駅の売店で見つけた時は驚きました。
まさかこんな所で出会うとは!